2008-08-14 Thu
明日は、終戦記念日ですね。「特攻花」=今日の新聞で知りました。
終戦記念日を迎えるころ、奄美諸島・喜界島(鹿児島県)の特攻隊中継基地跡周辺に、黄色く縁どられた赤い花が咲き乱れる。島の人たちから「特攻花」と呼ばれるこの花を撮り続けて7年。大阪の写真家、仲田千穂さん(26)が、花の写真やエピソードを収めた「『特攻花』って知ってる?」(しののめ出版)を出版した。仲田さんは「この花に込められた特攻隊員たちの思いを伝えたい」と話している。
「特攻花って知ってるか?」。京都の短大生だった平成13年夏、授業中に聞いた話が、この花とかかわるきっかけだった。
花の正式名称は、テンニンギク。太平洋戦争末期、給油などで喜界島に立ち寄った若い特攻隊員に、島の娘たちが手渡した花だ。しかし隊員たちは「花も一緒に散るのはしのびない」と、上空から花を落としたり、滑走路脇に置いたりして去っていった。そして残された花が根付き、滑走路周辺に群生した−。
そんな島の言い伝えを聞いた仲田さんは「なんてドラマチックで、なんて悲しい物語なの」と感銘を受け、「この花は、何かを伝えたくてここに咲き続けているのでは」と、喜界島へ飛んだ。
以来、毎年島を訪れて花の写真を撮るだけでなく、特攻隊の生き残りという人たちや、隊員を見送った女性たちの取材を重ねた。
「好きで志願したわけではない。国や家族を守るためにも、男子として、やらにゃいかん、と」。こう話した元隊員の男性は「自分だけ生き残ってしまった」ことに罪悪感を抱き続け、平和を望んでやまなかった仲間たちの死にざまを語ることを自らの使命として余生を過ごしている。
出撃前の隊員が泊まっていた旅館で世話をしていたという女性は、「今でも運動会でハチマキをした中学生を見ると、彼らと重なって涙が出ます」と話した。仲田さんは、同年代の若者が書いた遺書や、あどけなさの中にもりりしい表情をした隊員の写真を見たとき、涙があふれ、息が止まりそうになったという。
「学校で習う戦争は、原爆など目を背けたくなるような悲惨な話ばかりで、それ以上知りたくないという気持ちになってしまう。なのに、今はこんなにも戦争について考え、知ろうとしている。それは、私が悲惨な被害写真ではなく、『花』から入っていったから」
現在、大阪市中央区の広告写真スタジオ「七彩工房」に勤める仲田さんは、大阪や京都、東京など各地で写真展や講演会を開いてきたが、「意外にも、若い人たちの反応がよかった」という。これからも「特攻花」をきっかけに、特攻隊員らの話を広く伝えていくつもりだ。
今日の産経新聞より
数年前に「知覧特攻平和会館」に行ったことを思い出し、切ない気持ちになりました。
われわれ戦争を知らない世代も、明日一日戦争のことを考える時間を持つのも必要ですね。

